0.プロフィール

自分は20代で起業し、六本木で店舗を経営する傍ら、清掃業や運送業など複数の会社も立ち上げました。一時期はタイやマレーシアでも数年間働いた経験があり、日本に戻ってきたタイミングで現在の仕事のお話をいただきました。趣味は格闘技で、今でも柔術のジムに通って心身を鍛えています。
1.インフラディレクターになろうと思ったきっかけは?
ある社長との出会いがきっかけでした。大きな夢を語るその姿に触れ、40代になりある程度の満足感を得ていた自分にも、もう一度20代・30代の頃のような情熱を持って仕事に向き合えるかもしれない――そう思えたのです。
50歳を迎える前に、もう一度「燃え尽きるような挑戦」をしてみたい。これまでとは全く関係のない業界ではありますが、その出会いが背中を押してくれました。挑戦してみよう、そう決意しました。
2.インフラディレクターとして働いてみて、どんなやりがいを感じますか?
まずは、こんな自分にチャレンジさせてくれた社長に心から感謝しています。何もわからない状態の中で、あえて「失敗してもいい」という前提で、さまざまな経験をさせてもらいました。
これまで培ってきたコミュニケーションスキルだけを武器に、現場の職人さんや役所の方々に頭を下げて教えを乞いながら、一歩一歩「自分にもできる」という実感を積み重ねてきました。
そして、初めて1つの現場を最後までやり切ったときの達成感――あの満足感は、本当に大きなものでした。

3.インフラディレクターの仕事で大変だったことや苦労したことは?それをどう乗り越えましたか?
日々工事が進んでいく中で、初めて聞く用語や見慣れない道具、現場の監督ごとに違うやり方など、戸惑うことの連続でした。それでもなんとかついていこうと、自分なりに調べ、考え、時には失敗し、叱られることもありました。
それでも踏ん張れたのは、これまでの人生経験のおかげです。どんなことを言われても、「命までは取られない」と開き直り、「何くそ」と前を向くことができました。
そして最後には、結局一生懸命に仕事をしている人間を本気で嫌う人はいない、ということに気づきました。応援してくれる人が少しずつ増えていったことが、大きな励みになりました。
4.インフラディレクターになって「よかった」と思う瞬間は?

「君だからできたんだよ」とか「仕事が早いね」と言われたとき、自分の得意な部分を出していけば、ちゃんと認めてもらえるんだなと実感しました。
何もかも分からない状態だったからこそ、素直に人に聞くことができて、それが少しずつ身についてきたと感じられるようになりました。
今では後輩に教える立場になり、「自分も最初はこんな簡単なことすら分からなかったんだな」と振り返ることができたとき、少しは成長できたのかなと感じられて、嬉しく思います。
5.これからインフラディレクターを目指す人へのメッセージをお願いします。
僕は40歳を過ぎてからの挑戦でした。
まさか自分が、国の公共工事に携わることになるとは思ってもみませんでした。
今では日本の信号機を直したり、道路を補修する仕事に関われています。
職人ではないので直接ものを作るわけではありませんが、職人さんたちが苦手とすることを自分のスキルでカバーし、工事がスムーズに進んだときには、感謝されたり、こちらが感謝したり。そんな場面が増えてきました。
営業の世界、水商売、自分での起業など、20〜30代の頃は勢いだけで突き進めることも多かったですが、そのパワーが弱まってきた40代でふと立ち止まり、「今さらサラリーマンには戻れない」と、どこかで人生に諦めを感じていました。
でも、遅すぎることなんてありませんでした。
遊びに夢中だった時期、好きなことばかりしていた時期、いろいろありましたが、今では3人の子どもを育てながら、毎朝きちんと起きて一日中働き、夜には家族そろって妻の作った夕食を食べています。そして週末には子どもたちと過ごす時間も大切にできるようになりました。
夢ばかり追っていた頃の自分より、今の自分の背中のほうが、子どもたちには良い「生き様」として見せられているのではないかと思います。
40代からでも遅くありません。「自分にはできない」なんて諦めないでください。もう一度、あるいは最後のチャンスとして——
一生懸命、まっすぐに生きてみませんか。
インフラディレクターのある1日のルーティーン
8:30 現場到着 近隣挨拶
9:00 現場開始ミーティング
10:00 役所との打合せ
11:00 現場見回り
14:00 ガス、NTT、電力会社、水道との現場協議
15:00 現場監督との施工打合せ
16:00 近隣の企業への工事説明
17:00 作業終了 帰宅 明日の準備